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アーカイブ②(わが家)

10年前に撮った「わが家」の写真です。改修を施して車椅子でも暮らせるようにした家を前に、嬉しさの半分以上と不安の少し入り混じった何とも言えない気持ちで眺めていたのを思い出します。ちなみに「わが家」は、木造1階建の賃貸住宅3DKです。

ここで、最初にどのようにしてこの地に住を構えるようになったのか、というか、その経緯を述べてみたいと思います。当時、ILPでいう自立生活の項目“家探し”を車椅子の友人と始めて1ヶ月ほど、真夏の日差しが照りつける中での行動でした。

不動産屋を回る中で、空いている借家はどこにもあるし割りと簡単に決まるはず、と“家探し”を商品を買うのと同じように考えていた当時の自分でした。

しかし、木造平屋建てとバリアフリーの改修工事OKという物件にめぐり合うのは容易なことではなく、こちらが車椅子であるのを見た瞬間、現地の大家さんの顔色が急降下(笑)していくのを幾度となく見てきたものでした。

ほとんど条件に近い物件はあったもののあと一歩で挫折し、あきらめにあきらめきれず付近をウロウロしながら、とりあえず近所の食堂で食べた冷やし中華のおいしかったのが忘れられません(笑)。

それから、どこかに行った時には、その地で思い出せるように近辺で何かを食べて帰るようにしています。余談ですがうまいもの発見もありました(笑)。と、ここで話が「食べ歩き」の方に行きそうだったのを方向変換して

今は、多少なりともよくなってきたものの、当時、家を借りるのは交渉もそうですが、大家さんがどれほど理解を示してくれるかに掛かっている部分は多くありました。

賃貸物件の4文字が近づいてみたり、遠のいてみたりしながらの日々を繰り返しながら、数えてみれば13戦全敗(笑)、要望に近い家を探す難しさに頭を悩ませていた日々でした。

某日のこと、チャンスは驚くほどすんなりとやってきました。たとえで言えば素早く通り過ぎようとしていた所をうまく捕らえられた、そんな感じでした。

そして、1本の賃貸物件の電話があり、少ない情報の中を現地まで出向いて行って、場所的には市街から離れていてやや便利が悪い面などあったものの、とにもかくにもここは決断の一手あるのみ!

早々と契約です。そして、とどめの印鑑(笑)をオーインした時は、何かとんでもない宝物をゲットしたような、称号がワンランクアップしたような(笑)浮付いた気持ちになっていました。

業者にスロープや浴室などの改修工事を依頼して、約1ヶ月ほどかかり現在の「わが家」の構造に至るのですが、驚いたのは一般の木造家屋がバリアフリーを取り入れることにより完全に出入り可能な生活に何の支障もない住宅に変貌してしまうことです。

こうやって、地域で生活するという自立生活の基盤がこの場所に出来ました。もう時期は冬になりかけていました。

家は、施設のようにすべてがセッティングされた配置ではなく、自分で考えたように配置していく楽しさ、それに伴って火やガス、そして電気製品なども自分が責任を持って管理していくことが重要になってきます。

地域で普通の人が普通に暮らしていく様々な基礎を身につけていった訳ですが、大事なのはさまざまな場面での失敗でした。失敗を繰り返しながら少しずつ分かっていくのは自立生活ならではのことでした。これはまたどこかで述べてみたいと思います。

そしてこれは現在の「わが家」の写真です。

こうやって写真を見比べてみると自立から今までの出来事がさまざまに思い浮かんできます。

また次回、アーカイブに収めてみようと思っています。

Santhoka

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