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2021年、あの日を振り返って part2

さてさて昨日の続きとまいりましょう。

ここで簡単に経緯を述べてみますと

4月19日の午前中、妙に眠たくてたまらないため、SpO2(血液中の酸素濃度)を測ってみると85と異常な数値を示していました。早急に主治医に連絡、そして救急車を要請。救急車に乗り込んでからも別にこれといった症状もなく、身体的な情報を救急隊員にごく普通に答えていたのを覚えています。

自宅を出発して8分ほど経過した頃であったと思います。瞬間的にと言ったらいいのか一瞬で目の前の何もかもが真っ白くなり、全ての意識が消えてしまいました。テレビ画面がプツンと消えるが如くです。その何もない真っ白い空間から、前述のS病院の救急救命室へと繋っていくまでに数時間のタイムラグがあったようです。

これもあとで聞いた話ですが、救急車の中で急に意識を失った直後に気管に痰が詰まり危険な状態になっていたそうで、S病院の救急科に運び込まれ気管切開の緊急手術を施したとのことです。

それほど切迫した状況になっていたのかと思って、一命を取り留めた事に取りあえず、…取りあえずはホっとしていたのですが、ここで今現在のリアルを認識するにつれて、漠々としたむなしさに襲われてくるのを止められませんでした。

「家、帰れるんかいな?」「もう、無理っぽいかな」「いや、帰るぞ」「無理だ!」「だまれ、無理じゃない!」

ワタクシの心の中では、堂々めぐりの自問自答を繰りかえしているばかりで、ループから抜け出せない毎日でした。

救急救命室には1週間ほどいて、その後、一般病棟へと移りましたが、声が出せないことで看護師さんたちに意思が伝わりません。

「痰吸引してください」が、「大丈夫です」と看護師さんたちには伝わるようで、「じゃあ、Sさん大丈夫なのね」と、解釈されて病室から退室されたことがあったりして、「カムバーック!」と、思わず看護師さんの後ろ髪を引っ張りたい気持ちになった時もありました(笑)。

一般病棟での療養は、思った以上に厳しいものでした。

言葉が出ないということは、相手に意思がほぼ伝わらないということで、痰吸引のことや体位変換、その他してもらいたい細かいことが文字盤での対応になり、またナースコールが指で押せないため、頻繁に喉に上がってくる「痰」に苦しみました。4人部屋ですが、他の3人の患者さんたちは意思の確認がほぼ難しい人たちでナースコールを押してもらえません。

「もう、家に帰るの無理だな!」「いや、絶対無理だ!」「あきらめるんだな!」

自問自答は人生否定論に終始していました。たまに「でも耐えれば大丈夫かも」と、心の声があったりして、声にならない声で「帰ってやるぞ!」と叫んでみたりしたことも(苦笑)。

ということで今日はこの辺で

続きはまた明日…Santhokaでした

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